トップページ





獅子渡藤次郎の墓


荒勇の墓

 

 幕末の頃、伊丹周辺は相撲が盛んであった。当時の力士の墓が市内に残っている。
鴻池墓地公園の入口に伊丹の相撲興行番付表で頭取として名を連ねた獅子渡藤次郎の墓がある。慶応元年(1865年)乙丑閏五月建立と刻まれている。
 獅子渡藤次郎は尼崎藩主の御前相撲で藩お抱えの力士を次から次へと投げ飛ばしたために殿様が怒り、追われて逃げたという伝説がある。
 松ヶ丘バス停の北向き地蔵の南側に昆陽の村墓がある。ここに明治14年(1881年)建立の荒勇由松の墓がある。荒勇については詳細は不明であるが江戸末期の力士と言われている。
 同じく相撲興行番付表で頭取として名を連ねた関川為五郎の墓が市内船原の菩提寺境内にあると地域研究誌に載っていた。現地へ行って探してみたが墓は見当たらない。お寺の住職に尋ねると嘉永5年(1852年)に建立された古い墓石のため阪神淡路の震災で倒壊破損して、残念ながら今は墓石はないとのことであった。

 (松田 記

「獅子渡藤次郎の墓」の場所(鴻池墓地公園内





目次