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尾なし堤の水神社と石柱



明治二年池尻村絵図 矢印先に水神社


 

 昆陽井の取り口から下流の池尻に向って尾なし堤が築かれている。
 尾なし堤の終点、天王寺川が武庫川に合流する地点に水神の御影石の社が鎮座している。傍らの石柱には「池尻尾なし堤 水神社」と印されている。
 「明治二年(1869年)池尻村絵図 伊丹古絵図集成本編」には「水神」が記入されているが、それ以前の絵図(例えば幕末期池尻村絵図 同本)には見当たらない。同地図が作成される明治2年の3年前、慶応2年(1866年)に武庫川の 洪水があり、堤防が決壊して池尻村は大被害を 被った。おそらく洪水のあと、水神を鎮めるために社を建立してお祀りするようになったのでは…と想像されます。

 (松田 記





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