トップページ



 

 軍行橋東詰堤防の上流側に東宮御野立所の石碑(下河原1 丁目)がある。
明治44年11 月に北摂地域で陸軍第16師団(京都)と第4師団(大阪)対抗の大演習が行われ、東宮殿下(のちの大正天皇、当時は皇太子)が演習に臨まれた。そして、当地で休憩されたのを記念して明治45年に神津村の有志が建立した。
 碑の立つ堤防上からは、伊丹台地とそれに続く平野部が一望に見渡せ、野立所として恰好の場所であることが分かる。この大演習のために猪名川に新たに橋を設置して“軍行橋”と命名したと言われている。
 明治44年の地図によると、設置場所は現在の軍行橋とほぼ同じ位置にある。それ以前の橋は明治20年の地図によると現在より200m ほど下流の旧西国街道が堤防につきあたる位置にあって、西国橋と呼ばれていたようだ。
 
橋はその後幾度か架け替えられ、西国街道も新道(国道171号線)に変わったが、軍行橋の呼称はそのままで現在に至っている。

 (松田 記





目次