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伊丹市史第四巻の掲載写真


現在の平塚
 
  現在の安堂寺町6丁目は旧地名で南野平塚と呼ばれていた。ここに方形墳とされる塚のあることが伊丹市史に掲載されている。
おそらく昭和30年代の写真?。周囲は一面の耕作地で、遠くに六甲の山並みが見える。同市史によると「・・・一見方形墳の形をしめし塚地は一辺16m、比高3m・・・、いま塚地上には小祠がたち、その東側斜面の土が大きくくずれており・・・旧状をそのままとどめるとは見られない。これを古墳と確認する徴証はないが、古墳としてのさらには方形墳としての、疑いの存するものとして・・・」とある。    (伊丹市史より抜萃)

市史掲載の写真より半世紀以上過ぎた現在、塚はどうなっているのだろうか。

 現在の平塚は住宅街の1区画として残されており、周囲の耕作地は宅地造成のために埋め立てられて地盤が高くなり、塚との高低差は1.5mほどになっている。
 以前と同様に塚の上には地蔵が祀られ、南野自治会所有地南野地蔵講管理と表示されている。
 しかし平塚古墳を示す説明等の表示は見当たらない。御願塚古墳の4ケ所の陪塚は現在消滅しており、痕跡さえ残っていないが現地には塚跡の標示がされている。これに比べると平塚は存在が忘れられたような不遇な塚である
。    
(松田 記)
 
場所:安堂寺6丁目周辺

 
 
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