中野素戔嗚神社の東隣りに中野湯出(湯出は当地の旧地名)児童遊園地がある。この遊園地の用地は昭和31年まで稲野小学校中野分教場として使用されていた。同年に桜台小学校が開校したのに伴い、分教場は統合され廃止になった。天保2年(1831)に寺子屋が開かれて以来120余年間教育の場として親しまれてきた歴史を閉じたのである。桜台小学校創立30周年にあたりその沿革を記して地域教育の発祥を讃え、これを記念して昭和61年、地域教育発祥の地の碑が建立された。
江戸時代、藩校などの武士階級の学校の他に庶民のための学校として寺子屋や郷学があった。新田中野村において天保2年(1831)素戔嗚神社の神官杉山周善が寺子屋「酔墨堂」を開校した。普及地域は新田中野、鴻池、姥ヶ茶屋など広い範囲に及んでいた。生徒数男75人、女35人で学習科目は読み書き、算術であった。
その後の寺子屋の経過を記す。
・明治6年(1873) 新田中野・鴻池・荒牧・荻野村が共同で新野小学校を設立する。
・明治13年(1880) 致道小学校と改称
・明治21年(1888) 新田中野村他計10ヶ村 が統合して稲野村が発足する。
・明治24年(1891) 稲野尋常小学校は統合により校舎が手狭になり、また遠距離通学の解消のため、当地に稲野尋常小学校分教場が設置される。
・明治41年(1908)稲野尋常小中野分教場となる
・昭和31年(1956) 桜台小学校の設立により分教場は廃止となる。
分教場敷地の端部にかつて300年ほどの年輪を重ねた榎(エノキ)の古木があり、120年の歴史を見守ってきた。道路拡幅により古木は道路用地にはみ出すことになったがその部分だけ道路幅を狭めてあった。その後古木は枯れて撤去された。しかし今は記念碑の傍らに植えられた榎が大きく成長してかつての古木の2代目として歴史を引き継いでいる。
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