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旧大坂陸軍獣医資材支廠長尾分廠正門


現在の正門跡 門柱は当時のままで保存
 
  同分廠は昭和15年(1940)に獣医資材支廠大阪出張所として分離発足、築港で操業を開始した。獣医資材とは軍馬用の医薬品、蹄鉄、蹄釘等の備品のことである。
 しかし同地が手狭になったので、川辺郡長尾村への移転が計画され、昭和17年(1942)に約3万坪(500m×200m:10万m2)の用地買収が行われた。長尾村荒牧、鴻池、荻野の村民に対して印鑑持参で国民学校に集合せよとの達しがあり、概要説明のあと、該当する地権者は直ちに用地売却の同意が求められた。翌18年には建物が出来始め順次移転を開始、19年には長尾分廠の開庁式が行われた。
 また同年には国鉄中山駅からの引込み線工事が始まり、翌20年初頭には獣医資材支廠と兵器廠(宝塚市野里)への引込み線が完成した。
 終戦後、同分廠は残務整理のあと21年2月に閉鎖され、同年5月より外地からの引揚者用の県営応急援護施設の長尾寮となった。その後21年には生活保護施設として一般生活困窮者も対象とするようになった。27年には管理を長尾村に委譲するが、30年長尾村の合併消滅により伊丹市が管理引き継ぐことになった。寮内には約300世帯が生活して、浴場、講堂、診療所、保育園が設けられ、また教室が不足する学校、幼稚園の仮施設としても用いられた。
 やがて高度成長期を迎え、戦後に果たした役割も終了して昭和39年(1964)より土地・施設とも民間への払下げが始まった。現在はかつての面影は全くみられず、残っているのは正面入り口の門柱のみである。
                 (地域研究いたみ25号 参考)


長尾分廠平面図
(松田 記)
 
場所:北野1丁目

 
 
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