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 猪名野神社の西側、惣構えの境界線は現在バス路線の道路になっている。
きしの砦の土塁背後には昭和の初め頃まで堀跡が残っており、加茂井の水路に利用されていた。
 水路が有馬道と交差する個所には橋があり、江戸期の古地図には石橋と記されている。
 昭和40年頃に水路は暗渠になり、橋もなくなったが、現在は近くのバス停に「清水橋」としてその名を留めている。清水橋があった北東側民地に、お地蔵さんの祠とともにバス道路に沿って五輪塔が並べられている。
 その数二十数基、風化が進んでいるものが多く、かなり古い年代のものらしい。
 五輪塔を並べている家の方にお伺いすると、「大正3年生まれの叔母さんが子供のとき、すでに今のような形で並べられていた」とのことです。
 附近に散在していた、あるいは偶然に地中から掘り出された五輪塔がお地蔵さんのもとに持ち寄られたのだろう。街道の行路病者を弔ったものか、はたまた“きしの砦”の近くにあることから、信長と村重の戦の死者を供養していたのかと想像を巡らした。

 (松田 記)





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