トップページ





 
鈴原町4丁目バス停附近の植込みに伊丹町町村境の石碑が立っている。なぜこの場所に町村境を示す石碑があるのだろう。現在の鈴原町1?4丁目は当時伊丹町大字伊丹であったが、5?7丁目と8丁目の一部は旧稲野村大字昆陽に属していたので、その境界に立てられていたのである。
町村制に基づいて伊丹町が発足したのは明治22年(1889年)、したがって石碑が建てられたのはそれ以降である。
それから51年後の昭和15年(1940年)伊丹町は稲野村と合併して市に昇格する。これにより町村境の石碑は無用になるが、75年後の今日まで残されたのである。
昭和15年(1940年)は皇紀2600年にあたり、国を挙げて奉祝行事が行われた。ときの総理大臣は伊丹との所縁のある近衛家の文麿公であり、伊丹町としてこの佳き年に市制を施行して、一層祝賀気分を盛り上げたかったのだろう。
伊丹市はその後昭和22年(1947年)に神津村、昭和30年(1955年)に旧長尾村の荻野、荒牧、鴻池、大野新田地区を編入して現在の市域に至っている。

 (松田 記





目次