古来より昆陽池は“殺生禁断”の地とされており、これを今に伝える石碑が池の畔に残されている。
一つは日本列島の島がある池の南側、給餌池の隅にあり、高さが1mほど、石碑表面は風化が進んでおり、注意しないと見過ごしてしまう。しかし殺生禁断の文字はなんとか読み取れる。
もう一つは昆陽池センターの裏手にあり、高さが1.5m、文字は深く彫込んであり、風化は殆どなく、しっかり目立っている。比較的新しい時代に建てられたものらしい。どちらの石碑も裏面には「崑陽大池」と記されているだけで、建立時期を示すものはない。
十八世紀後半の昆陽村および周辺村々の明細が記された昆陽組邑鑑(こやぐみむらかがみ)には以下の記述がある。
「昆陽大池殺生禁断之立杭」
「右は往古より御座候而朽損候節は昆陽村より御断申上、寺本村・昆陽寺より仕替来り申候」
当時、殺生禁断の看板は木製で、朽ちて破損した場合は昆陽村が報告し、寺本の昆陽寺が来て取替えるとのこと。その後の時代になって石材を使用するようになったようだ。