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今回は平成13年入会した6期生のIさんにお話を聞かせていただきました。
長く会長や幹事を務められて、会での活動を知り尽くしておられます。
【聞き手】
まず、ボランティアの会に入会された動機を教えてください。
【Iさん】
楽器屋の商売をやめてから、最初は、巨木の会へ入ったんだよ。
【聞き手】
巨木の会といえば、樹木や自然観察する会ですね。
【Iさん】
そう、入会した当時は15名ほどのメンバーがいて、伊丹市内の自然観察をしていたんだ。するとね、文化財のある場所も訪れるでしょ。やはり、どうしても歴史の話がからんでくるんだよ。
【聞き手】
文化財といえば、猪名野神社や昆陽寺などは自然観察に適した場所ですね。
【Iさん】
メンバーの中でも、私が一番伊丹の歴史に詳しかったので、よく歴史の解説を頼まれていたんだよ。
【聞き手】
よく勉強されてたんですね。
【Iさん】
<伊丹市史>も持っていたし、よく読んだものだよ。私の少年時代は軍国主義の時代だからね、124代の天皇の名前を暗記させられたものだ。
【聞き手】
何期生の入会ですか?
【Iさん】
6期生だよ。広報に載っているガイド募集の記事を見て、応募した。今と同じ8回の養成講座を受けてね。
【聞き手】
講座の最後にガイドする試験がありますが、どこをガイドされたんですか?
【Iさん】
有岡城跡だったな。有岡城跡は話題が豊富で難しいでしょ。他の人は誰もやりたがらなかったんで、私がすることになったんだよ。入会してから有岡城跡や荒木村重を、徹底して研究したもんだ。
【聞き手】
文化財のイベントなどで、荒木村重の様相で陣羽織を着て参加されていますが、歴史上の人物の中で荒木村重が好きなんですか?
【Iさん】
いやぁ、あまり好きになれないね。だって、妻子や家来たちを城に置き去りにして、逃げてしまったんだから。戦国時代の出来事なので、その行為を責めても仕方がないこととは思うけどね。

荒木村重に扮してのガイド風景
【聞き手】
でも、興味があって、研究されていたんですよね?
【Iさん】
最初、村重は茶人荒木道薫として、興味があったんだ。
【聞き手】
豊臣秀吉の時代になって茶人と復活して、晩年は出家したんですよね。
【Iさん】
有名な茶人の千利休に認められて、利休七哲のひとりに数えられていた。七哲は今でも暗記しているよ。蒲生氏郷、細川三斎、古田織部、瀬田正忠、芝山監物、高山右近、荒木摂津。
【聞き手】
良く覚えてられますね。
【Iさん】
武将には茶人が結構いるんだよ。高山右近や古田織部にしても、茶人として有名だよね。
信長はお茶が好きで、「茶の湯は御政道」という考えで、茶道でもって政道をやっていくと言ってね。以前は武運を立てた人には褒賞として土地を与えていたんだけど、征服していく過程で与える土地が無くなってしまった。だから、土地の代わりに、大名から召し上げた茶道具を褒賞として与えてたんだね。お茶道具といっても、当時お城に匹敵するような価値があるものもあったんだよ。
【聞き手】
お茶にはお詳しいですね。
【Iさん】
もともと、父親が京都でお茶の骨董屋をやっていたんだよ。当時、裏千家や表千家に出入りしていたくらいだから、繁盛していた。
【聞き手】
商売を継がれなかったんですね。
【Iさん】
18歳まで京都の家にいたけど、父親とケンカして、家を出てしまったんだよ。

ご自宅にある茶器
【聞き手】
それで、楽器メーカーさんにお勤めになったのですね。
【Iさん】
楽器メーカーに勤めてから、独立したんだ。最初は西台に小さな店を出して、その後伊丹の駅前ビルの7階で、カセットやCD、楽器を販売してた。25年間、商売をしていたね。
【聞き手】
売れましたか?
【Iさん】
当時、CDが良く売れてね。そういえば、先日亡くなった田辺聖子さんも来店したことがあった。突然、店にやってきてびっくりした。「カモカのおっちゃん」で有名な旦那さんも一緒に来てた。
【聞き手】
インターネットが無かったですから、音楽は楽器店でCDを買わないと聞けない時代ですものね。ボランティアの会では長く会長をされていましたね。
【Iさん】
入会して1年目で幹事になって、それから2年後から会長になって、10年間務めたよ。
【聞き手】
長く務められたんですね。ところで、長い髭が象徴的なお姿ですが、その髭はいつごろから生やされえているのですか?
【Iさん】
いつごろかな。(昔のアルバムを広げながら)楽器屋をやっていた頃から生やしているな。
巨木の会に入会した時には、あごのひげはすでに伸ばしているね。そういえば、その頃から剃ったことはないよ。
【聞き手】
よく伸びましたね。ひげを生やしたガイドは印象的ですから、すぐ覚えられますね。
ガイドする場所で、一番好きな文化財はどこでしょう?
【Iさん】
やはり、有岡城跡が一番得意かな。それと、昆陽寺が大好きだな。解説する材料が多いからね。
【聞き手】
どんぐり座のことについて、お聞きしたいのですが。
【Iさん】
最初はね、ある会員がひとりで紙芝居をしていたんだ。その紙芝居に付いて行ったら、ハーモニカを吹いてほしいと頼まれてね。その頃は学校からの要請があって、少人数で昔話なんかを演じていた。会長になって2年目だったと思うが、みんなでやろうと声を掛けたら、20人が参加してくれたんだ。
【聞き手】
20人とはすごいですね。ハーモニカはいつ頃から吹かれているのですか?
【Iさん】
60歳から始めたんだよ。楽器屋をしていたので、商売上ピアノやギターも練習していたんだけど、なかなか上手くならなくてね。ハーモニカは何とか吹けるようになったよ。
【聞き手】
ハーモニカは楽しいですか?
【Iさん】
今はハーモニカを吹いている時が一番楽しいね。
【聞き手】
よく練習されているのですか?
【Iさん】
毎日2時間は吹いているよ。午前中1時間と昼から1時間、昼吹けない時は夜に1時間練習している。
【聞き手】
それはすごいですね。レパートリーは何曲ですか?
【Iさん】
300曲は吹けるよ。でも、リクエストするなら昭和30年までの曲にしてくれと言ってるんだよ。(笑)
【聞き手】
それじゃ、懐メロが多いですね。でも、健康に良いですよね。
【Iさん】
肺活量は付くしね。腹式呼吸だから、健康には良い。
【聞き手】
さて、最後の質問なんですが、生きる上での信条や座右の銘なんか、ありますか?
【Iさん】
(少し考えてから)「断じて行えば、鬼神もこれを避く」かな。「固い決意をもって断行すれば、何ものもそれを妨げることはできない」ということだね。私は小さいころ身体が弱く、気が小さかったから、よくこの言葉を投げられたね。
【聞き手】
終戦時は何歳だったんですか?
【Iさん】
13歳だった。戦争中は軍国少年だったから、そういう教育をされたんだよ。
【聞き手】
激動の時代でしたね。
今日はありがとうございました。
いつまでも、お元気でご活躍ください。
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