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 江戸時代の寛永7年(1630)昆陽村北方の芝野に新田中野村が開発されました。やや遅れて正保2年(1645)までに開発されたのが東野村と西野村です。もっとも始めは単に「小屋新田」と呼ばれ、「西野」の初見は宝暦6年(1756)です。貞享(1686)から文政6年(1823)までは武蔵国忍藩(埼玉県)の阿部氏の領地で、新田中野村に陣屋がありました。それ以外の時期は幕府領で、明治3年に兵庫県に編入されました。明治22年稲野村に属し、昭和15年には独立の大字となり、同年伊丹町と稲野村の合併による伊丹市西野となりました。
 新田中野村では綿作が盛んでした。また、西野地先で武庫川から取水する昆陽井(こやゆ)は市域の南部を潤す重要な用水路でした。しかし、慶応2年(1866)に洪水で大被害を受け、年貢減免や貸付けを嘆願、3か年の倹約を申し合わせたのを始め、武庫川や玉田川の出水にはたびたび悩まされました。昭和7年尼宝バスが現在の地方道尼崎・宝塚線で営業を始めてから宅地開発が進むようになり、最近は高層住宅も増えて昔の面影は失われつつあります。







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