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 昆陽の地名は僧・行基が昆陽寺を建てたことから名付けられたと言われています。
昆陽村は東の瀬川宿(箕面市)と西の西宮宿を結ぶ西国街道の宿駅として発展した村です。代々佐藤家が本陣(大名が参勤交代の道中に宿泊や休息した屋敷)を勤めていましたが、幕末には川端家に代わりました。
 昆陽地内は当時、東町、中町、大工町、市場町、辻ノ町、佐藤町、小井之内、の7町からなっており、旧地名のうち、「佐藤裏」・「佐藤前」は本陣の佐藤家の名称によること、また、「北辻」・「南辻」は村の東西を走る西国街道と、南北に走り、小浜(宝塚市)から有馬に至る有馬道が交わることなどから名付けられたものと思われます。
 地図に表示していますように、多数の旧地名がありましたが、現在は昆陽、昆陽北、昆陽池などの町名となりました。



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