トップページ

 

 この地域はもともと山本村(宝塚市)に属する草刈り場でしたが、延宝四年(1676)以後に開発され、さらに享保15年(1730)に本格的に開発されて、大野新田と呼ばれるようになりました。“大野”の名は、開発前の状況を表したものと思われます。
 村高は山本村の1,013石余に含まれています。初め旗本の板倉氏領、延享4年(1747)から幕府領になり、文政6年(1823)からは一ツ橋家領でした。明治3年(1870)兵庫県に編入、同22年長尾村に属し、昭和30年(1955)合併によって伊丹市山本となりましたが、同54年に町名変更によって旧新田名をとり、大野1~3丁目と改められました。
 氏神は春日神社で、字千秋にありましたが、明治42年に東野の素戔嗚神社(今の春日神社)に合併されました。
 
 
 目次