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 “もりもと”は嘉元3年(1305)に“杜本庄”の名で初めて古文書に見えます。称名寺(しょうみようじ)とその南東の字高法寺(あざこうほうじ)付近に居館(きょかん)を構えた森本氏は、南北朝から戦国時代に惣領伊丹氏のもとで合戦に活躍しました。
 江戸時代の森本村は、始め幕府領、大和国(奈良県)龍田藩領、再び幕府領を経て、寛文2年(1662)からは旗本服部氏の支配地でした。石高は581石余り、明治15年(1882)の戸数70戸、人口は309人でした。農業用水は猪名川から取水した九名井(くめいゆ)と森本井を使いましたが、豊中市域の原田郷などとの水争いが大正時代まで絶えませんでした。
 近代には神津村役場が置かれ、この地域の中心となっていました。



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